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杉安井堰
【すぎやすいぜき】


西都(さいと)市にある井堰。西都市杉安橋の下流約300mの地点に位置する。穂北・南方・童子丸・調殿(つきどの)・三宅・右松・岡富・黒生野の約660haを灌漑する延長約13.8kmの用水の取水口となっている。井堰とその用水路の建設者は,児玉久右衛門で,これを助けたのが黒木弥能右衛門である。「宮崎県嘉績誌」によると,「児玉久右衛門は,享保・宝暦年間の人で,穂北郷三宅の庄屋の二男,幼より豪邁にして義気あり,当時穂北郷は天領に属し,延岡藩の支配を受く,藩主牧野備後守幕命により,田畑共その年貢の金納を改め一切米納の令を下す。この地由来水利に乏しく稲田少し,もし畑地分も米納すれば,産米全部を合せても十分の一に足らず,農民困窮し年貢の義務をつくせず,田畑を売り払って,累代墳墓の地を捨て,放浪転居するものも多くではじめた。久右衛門深くこれを憂い,決然としてその救済を思いたち,日夜苦慮し,ついに疏水開田がもっとも機宜に適し,且永遠に利するの計なりとして,ここに用水路開さくの工事を企てるに至れり」とある。久右衛門は,西都原から地勢を観察し,杉安から黒生野に至る水路の位置を決め,従僕を連れて川や通過予定地の測量に着手したが,村人の中には嘲笑する者もあった。やがて設計図もでき上り,宮崎の富豪日高六右衛門に奇知で資金の醵出を約束させて,享保5年杉安から川原崎の水路と堰工事に着手した。工事は順調に進み始めたが,取入口付近の住民は,井堰竣工の暁は水害が起こることを恐れて,隠に工事を妨げ,久右衛門を詐欺師と悪罵した。折あしく夏に大洪水があり,大半完成していた堰が流失したため,さらにその下流に位置を変え再び工事に取り掛かったが数度流失した。流言や中傷がますます激しく,これが出資者にも伝わり,六右衛門もこれを中絶したので,久右衛門は悲涙にくれた。ところが偶然にもこの事業に救いの手を差しのべたのが黒木弥能右衛門であった。弥能右衛門は,前工事費の負債を償却して今後の工事費支払の任に当たり,久右衛門は専ら工事を担当し,幾多の支障をきたしながら享保7年第1期工事を完工し,水田14haを潤し,さらに寛延3年第2期工事で80haを灌漑することになった。さらに工事は続行され,幕府領穂北郷の8か村と佐土原藩領妻に及び,田地600haを超えた。藩主は久右衛門の功を賞し,乗馬帯刀を許し,手当米を賜り,村民も推して用水口世話役とし,工事に投じ家財を失ったことに同情し,居宅を修復して与え,毎年米36俵を永代子孫に寄贈報恩の慣例ができた。久右衛門は宝暦11年,杉安の地に74歳で没し,黒木弥能右衛門は安永5年その生涯を閉じた。これらの事績を伝える記念碑は,杉安井堰のすぐそばにたてられている。その後さらに延長工事や改修工事を重ねたが,特に大正8年,昭和8~10年,同26~32年,同49~52年と数回にわたる大工事で,杉安井堰の改築と護岸,用水路の改修コンクリート舗装等が実施され,現在は杉安堰土地改良区が管理運営している。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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