中渡川
【なかどがわ】

旧国名:日向
小丸川の支流渡川の中流域に位置し,九州山地の一部をなす600~800mの山々に囲まれた山間に立地する。5つの集落からなり,峻険な山間に散在する。地名は渡川の中流に立地することにちなみ,上流に上渡川,下流に下渡川がある。渡川の地名の由来については,伊東義祐の家来門川四右衛門(高岡城主)が野尻城で戦死した後,その弟某氏が伊東氏に従って「都於郡崩れ」に参加し,連れの2人とともに当地に逃れて居住して,門川の「か」を除いて「とかわ」と称し,のち転化して渡川となったという伝承がある。「日向記」4の祐清公被得御勝利事の段に,天文2年の伊東氏の内訌で,祐清の嗣立に反して蜂起した「山裏ノ一揆」の一勢として渡河衆が見える。渡川ダムのダム湖には名勝として屋形島がある。湖底に沈んだ屋形原の突出した所で,さながら屋形舟のようである。この屋形原には往古身分の高い人が住んでいた家があったとの伝説があり,また一説には古代に鍛冶屋がいて親方の家を屋形と呼んでいたからともいう。江戸期は中渡川を一名屋形原とも呼んでいた。このダム湖は,夏にはコイ・エラ・ウナギなどを舟で釣る観光客でにぎわう。
【中渡川村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【中渡川(近代)】 明治22年~現在の南郷村の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7235608 |





