100辞書・辞典一括検索

JLogos

31

川床
【かわとこ】


旧国名:薩摩

(中世)鎌倉期から見える地名。薩摩国入来(いりき)院のうち。元弘元年9月11日渋谷重基譲状案に「河床」として見える(入来文書)。元弘3年11月10日の渋谷重棟・重利連署去状(同前)によれば,川床から川上一帯の地は当時同族の祁答院渋谷氏が支配していたことがわかる。この川床から市野々にかけた地域は元来入来院領であったが,元寇後故あって祁答院氏の支配するところとなり,これが両家間で反目相論する結果を来していた。それを渋谷族間で当時最も人望のあった高城渋谷重棟の仲裁によって,祁答院方から入来院方渋谷重勝へ譲渡する,という去状によって無事解決をみたのであった。その後,貞和5年閏6月23日の渋谷重勝譲状によれば,当地は重勝の子息虎松丸と舎弟重興に譲与されている(同前)。戦国期には入来院家の重臣種田秀縄が川床にある川床城主に任じられ,国境守備に当たっていたが,永禄12年12月27日,大隅国蒲生の新留峠で伏兵に遭い討死にした。同所には今も秀縄の供養塔が現存する。川床の地は後川内川の右岸の沖積平地と,海抜140mの低丘陵とから成り,丘陵部を山城としたものである。長享~延徳年間のものと推定される算田日記(同前)によれば,川床の在家川床門は水田6.48町歩を耕作する大農家である。入来院地頭はこの川床門を手持門としているが,この一事でも同門が有力在家だったことが推量できる。入来町浦之名字川床近辺に比定される。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7237200