黒武者
【くろむしゃ】

旧国名:薩摩
(中世)鎌倉期から見える地名。薩摩国入来(いりき)院のうち。元亨2年3月13日の清敷南方水田検注帳に所見(入来文書)。当時は入来院内清色(清敷)村のうち,現在は入来町浦之名の小字名である。浦之名の南部山岳地帯をなす八重(はえ)山塊から北方へ流れ下る入来川の本流前川内川の下流約6kmの左岸地区であって,川辺の水田地帯の標高は50m,住宅地は60mの丘陵地である。黒武者地区の北半は古来智賀尾(ちかお)神社を祀る箕冠(みかぶり)山であるが,この箕状の山は中世の箕冠城の跡と伝承され,伝説上の戦跡と口承されているが,確実な史実記録はない。しかし近来入来文書を史料とする中世史の研究が進むにつれ,黒武者集落は南九州における典型的山村の孤立集落であったとして,全国的に著名となっている。山之手御手持分帳によれば,中世領主入来院氏は領内諸所の主要在家を抽出して自家の手持門として直轄支配しているが,黒武者門もこれに属するところから,この地が領主治政上きわめて重要な地として処遇されていたことが察知される(同前)。長享年間頃のものと推定される算田日記によれば,黒武者の在家は黒武者門のみであり,その耕田約6.5町歩(同前),同門は古来智賀尾神社の司祭家として現在の黒武者氏に至っている。地名については,「入来町誌」で,古代柵戸(きのへ)の「くろむし」,すなわち黒衣に原因するのではないかと推論しているが,定かでない。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7237435 |