下屋久村
【しもやくむら】

(近代)明治22年~昭和34年の自治体名。はじめ馭謨(ごむ)郡,明治29年からは熊毛郡に所属。安房村・船行村・麦生村・原村・尾之間村・小島村・平内村・湯泊村・中間村・栗生村の10か村が合併して成立。旧村名を継承した10大字を編成。はじめ役場は安房に置かれたが,明治29年熊毛・馭謨両郡の合併に伴い尾之間に移転。明治22年の戸数733・本籍人口3,590。世帯数・人口は,大正14年1,150世帯・5,808人,昭和21年1,479世帯・7,129人,同34年2,186世帯・1万312人。昭和25年安房に村役場の出張所設置。同30年屋久島警察署が上屋久村宮之浦から安房に移転。道路は,昭和元年沿岸林道の開発が始まり,同5年村道を併設して完成。同年定期自動車運行開始。同17年屋久島自動車有限会社が設立され,上屋久村永田―安房―栗生を結ぶ定期バスが運行開始。航路は,明治30年紀川丸汽船が運航を開始し,栗生は寄港地となるが,和船との調整がつかず数年で廃航。以後,順次種子島―屋久島航路,鹿児島―三島―屋久島航路などが開かれ,九州商船(はじめ九州汽船)の大川丸(150t)・栄城丸(170t)・八重岳丸(358t)・第38大鳥丸(240t)・男島丸(340t)・長福丸(527t)・椿丸(526t),鹿児島商船の室蘭丸(296t)・橘丸(393t),中川海運の第52薩州丸(185t)・第1照国丸(980t),十島(としま)村の十島丸(156t),三島村の三幸丸(301t),折田汽船の第12折田丸(131t)・第10折田丸(159t)などが月数回就航,安房や上屋久村宮之浦・一湊(いつそう)などに寄港した。発電事業は,第2次大戦後各地区が自主的に推進し,昭和24年中間・原,翌年尾之間,同27年栗生漁協,同28年上之牧電気利用組合が,それぞれ自家発電施設を完成させ,地区内に点灯した。しかし,機器の老朽化や貯水池がないため数日の晴天で発電能力が低下するなど不十分な点も多かった。町制施行後の同35年,屋久島電工株式会社が安房川第一発電所を完成させ,ようやく問題の解決をみた。学校は,明治13年尾之間・平内・原・安房・麦生・栗生・中間・湯泊・船行・小島の各地区に小学が置かれる。同19年,栗生を除く各小学校は簡易小学校となり翌年栗生小学を尋常小学校と改める。同26年各簡易小学校を廃止し,2地区で1小学校を経営。栗生は中間簡易小学校をあわせて栗生尋常小学校を創立。同28年栗生に岳南高等小学校が設立される。明治末期になると村内に高等小学校3,尋常高等小学校2となる。昭和34年町制施行,同時に屋久町と改称。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7237831 |