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永山古墳群
【ながやまこふんぐん】


姶良(あいら)郡吉松町永山須行に所在。古墳時代の地下式板石積石室群。川内(せんだい)川右岸,国鉄吉松駅より南1.75km,沖積低地へ張り出した河岸段丘縁辺(標高208m)に立地する。水田面からの比高は4mである。昭和47年4月遺跡の一部(町有地)に地下式板石積石室4基が発見され,48年1月,前発見地の東側畑地を宅地造成の目的で,地主がブルドーザーを使用して削平した結果,葺石多数があらわれ,吉松町郷土研究会が,地下式板石積石室41基を確認した。昭和48年8月河口貞徳他が発掘した。総数は100基ほどと推定される。調査は崖端に近い13基について行われた。第3号の長方形石室を有するもの以外は,すべて円形石室墳で,北端に位置する第10号墳だけが,周溝をめぐらした円形周溝墳であった。副葬品は概して少なく総計の結果は,鉄剣3・鉄鏃29・鏡1・ガラス小玉4で,全く副葬品を欠くもの2基を数えた。長方形石室をもつ3号墳は,剣1・鏃3・鏡1個の副葬品があり,鏡は径7.4cmの蒲鉾形の縁を有する素文鏡で,紐を欠失し,懸垂用の2孔を縁辺に設けている。仿製鏡である。周溝を有する第10号墳の石室は最も大きく,内径1.8mあり,周溝は内径6.6m,溝の幅は50cm・深さ40cm,断面形は逆台形で,北西部は橋状にとぎれている。溝の東半分には大型壺形土器9個が立て並べてあり,西側では攪乱を受け破片若干を出土したにとどまった。南側には小型高坏形土器,東側の溝つくり出し部には大型高坏形土器を配し,また東と西に相対する焚火の痕を残している。石室内の副葬品は剣1・鏃1で貧弱であるが,鉄片などの残存状況から攪乱を受けたことも考えられる。第10号墳には厚葬の意図が見られる。13基のうち第9号墳以外は,墳墓の周りに柱穴が検出され,埋葬後の施設のあとと考えられる。鏡・ガラス小玉の出土など,内陸部の埋葬址としては珍しく,古代交通路との関連が考えられる。5世紀の埋葬とみられる。遺跡の一部は町が買い上げ,保存されている。遺物は町教育委員会が保管。




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「角川日本地名大辞典」
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