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健児の塔
【けんじのとう】


沖縄戦で戦没した沖縄師範学校男子部および県下の中等学校・実業学校の職員・生徒・同窓生の慰霊塔の総称。沖縄県師範学校男子部307人を祀る沖縄師範健児之塔(糸満(いとまん)市摩文仁(まぶに)),県立第一中学校の306人を祀る一中健児之塔(那覇(なは)市首里金城町1丁目),県立第二中学校の174人を祀る沖縄県立二中健児之塔(那覇市奥武山(おうのやま)町),県立第三中学校の300人(日中戦争の戦没者および県立第三高等女学校の戦没者を含む)を祀る三中健児之塔(名護市宮里),県立水産学校の165人を祀る翔洋碑(糸満市西崎町1丁目),私立開南中学校の260人を祀る開南健児之塔(糸満市山城),県立農林学校の1,200人を祀る農林健児之塔(嘉手納(かでな)町嘉手納),那覇市立商業学校の140余人を祀る和魂の塔(那覇市松山1丁目)および県立沖縄工業学校の124人を祀る沖縄工業健児之塔(糸満市摩文仁)がある。昭和19年第32軍沖縄守備隊司令部は県下の師範・中等学校計10校の男子生徒を軍人・軍属として動員する計画を立て,米軍の沖縄上陸が必至となった翌20年3月,戦時要員として徴用した。1,780人の生徒たちは学校別に鉄血勤皇隊(健児隊)を組織し,指定された部隊に配属され,戦列に加わり,戦闘任務に従った。沖縄県師範学校鉄血勤皇隊は昭和20年4月1日から第2野戦築城隊・第32軍本部勤皇隊本部・第32軍司令部千早隊・第32軍司令部斬込隊・第32軍司令部特編中隊などに編成・配備された。最初は首里戦線で活動したが,のちに戦況悪化に伴い南部へ転戦,最後に摩文仁の壕まで退却,6月19日軍命により敵軍に斬込みまたは壕内で自決するなど,多くの犠牲者を出した。学徒隊に従軍した男子生徒1,780人中半数の890人が戦死しているが,県立工業学校では動員生徒数の9割以上,私立開南中学校・県立第二中学校でも8割以上が犠牲となっている。健児之塔はそれぞれ母校ゆかりの地にたてられており,毎年6月23日の慰霊の日には,戦死した学徒を悼み,その慰霊と平和を誓う行事が続けられている。また,沖縄師範健児之塔を指して単に健児の塔と称することもある。この塔は標高89.0mの摩文仁岳の南の崖下,昭和20年5月に鉄血勤皇隊が追い詰められて最期を遂げたところに,戦死した生徒たちを悼んで鉄血勤皇隊の生存者や竜潭同窓会員の手で同21年3月に建立された。塔に並ぶ健児之像は3人の若人像で,平和・師弟愛・友情を象徴したものである。健児之像は鉄血勤皇隊の生存者である外間守善・大田昌秀・安村昌亮の3名の手記「沖縄健児隊」の出版,同名映画の上映記念事業や多くの援助金などをもとにして昭和29年に建てられた。碑文は「若い身命を捧げて散った師友達の冥福を祈るとともに,それらの尊い殉死によって齎された平和への希願を永久に伝えるべく生存者達は心から祈るものである」と結んでいる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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