仲程村
【なかほどむら】

旧国名:琉球
(近世)王府時代~明治36年の村名。島尻方,はじめ島添大里間切,のち大里間切のうち。方言ではナカフドゥという。沖縄本島南部の饒波(のは)川上流域の平坦地に位置する。南山から来た仲程大主が村立てをしたと伝える。「絵図郷村帳」に島添大里間切中程村,「由来記」では大里間切仲程村と見える。近世末期に大里間切は疲弊して,道光9年(1829)には下知役を設置している(球陽尚穆王26年条)。仲程村も負債が多く疲弊していたが,村民3人が銅銭2,000~5,000貫文を給し,咸豊10年(1860)に褒賞を受けた(球陽尚泰王13年条)。拝所にコガネ森・アサト之殿があり,高宮城ノロの祭祀で,稲二祭には地頭が花米・五水を出している(由来記)。明治12年沖縄県,同29年島尻郡に所属。明治13年の戸数76・人口315うち男172・女143(県史20)。同15年の報告では,廃藩置県以前のサトウキビ畑3,358坪・砂糖高3,358斤余(地方経済史料10)。同36年仲間村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7241257 |





