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富崎村
【ふさきむら】


旧国名:琉球

(近世)王府時代の村名。八重山島のうち。方言ではフサギィという。石垣島南西端に位置する。その沖合いがフサギンドゥ(富崎渡)で,沖縄本島や宮古・八重山諸島間の航路でもある。干瀬があり,船が座礁することも多く,そのたびごとに人夫を遣わしたため,乾隆3年(1738)この地に石垣・登野城(とのしろ)両村から600人ほど移住させて新村を立てることを上申した(参遣状/喜舎場家文書)。翌年ここに桃林寺住僧義翁が海上安全のため経塚を建て,同7年順天姓真香が堂を造営した(球陽尚敬王27年条)。しかしこの時は村立てはなされなかったようである。同36年の明和の大津波直後に,竹富(たけとみ)島から男女523人を移住させ仲田原に村立てし,平久保半島の東部にあって津波でほぼ全滅した安良村の役人をこの地に転任させた。村は長さ7町36間・横1町16間。御嶽は竹富島から幸本御嶽を,同39年に遷した(大波之時各村之形行書/生活史料7)。しかしこの村の村位は布上位・石下々位で(里積記/那覇市史資料1‐2),痩地で作物ができず,上納米の滞納が980石に及んだので,同50年に桃里村の属地盛山へ移転した(八重山島年来記/県史料前近代1)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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