100辞書・辞典一括検索

JLogos

30

南上原
【みなみうえばる】


(近代)昭和20年~現在の中城(なかぐすく)村の字名。方言ではミナミイーバルという。もとは中城村和宇慶・津覇・奥間の各一部。明治初期に津覇・奥間・伊集の西方丘陵台地に,移住者がヤマヤードゥイ(山屋取)を構えたという。丘陵台地東側の崖に沿って中城城跡に通ずるハンタミチ(崖沿いの道)があって,西原・首里方面の人々がよく利用したといわれる。明治期には南部一帯の杣山約6万3,000坪が中城間切に払い下げられた(北中城村史)。明治36年以後行政字となるが,地籍は未分離のままであった。昭和21年沖縄戦の戦没者の慰霊碑糸蒲之塔を建立。近年,琉球大学の移転により,石橋原・竹口原を中心に住宅が増加しつつある。世帯・人口は,昭和45年119・608,同52年140・711。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7241807