与那覇
【よなは】

旧国名:琉球
方言ではユナパという。宮古島西部,北東は与那覇湾に面する。湾岸の砂地に与那覇遺跡があり,宮古式土器や中国製陶磁器などが出土し,14~16世紀の集落遺跡と考えられる。旧記類や伝承によると,14世紀後半頃平良(ひらら)の東方に興った与那覇原の佐多大人は1,000人の軍勢を擁し,城地方の高腰城や野原の大嶽城,下地の浦島(川満村)など各地の豪族を攻め亡ぼし,宮古の大半を領有するに至った。しかし平良の目黒盛豊見親との戦いに敗れ,与那覇原軍は四散した。生きのびた人々は北海岸の与那浜や,野崎から舟に乗って現在の地に逃れ,村立てをしたのが与那覇村の始まりと伝える。「目黒盛豊見親が島鎮めのアヤゴ」には,根間主が「よなはばら」で八重の敵をなぎ払ったと謡われる(アーグ62/歌謡大成Ⅲ)。来間島に面する与那覇前浜は,「ピトゥマサのマユカリャ」というクイチャーに「ゆなぱまいビだ」とあり,娘が来間島に嫁入りする時,ここで小舟を待ったことが謡われる(クイチャー23/同前)。与那覇前浜の北の浜は,「答申」というピャーシに「すそぱま(白浜)」と謡われる(ピャーシ32/同前)。
【与那覇村(近世)】 王府時代~明治41年の村名。
【与那覇(近代)】 明治41年~現在の字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7242031 |





