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金木町(近代)


 大正9年~現在の北津軽郡の自治体名。村制時の大字を継承し5大字を編成。役場を金木に設置。昭和2年の世帯数818(うち農432・工68・商152・交通13・その他153),人口5,132,同12年の世帯数985(農492・工98・商187・交通23・その他185)・人口5,888。同30年喜良市【きらいち】村と嘉瀬村のうち中柏木,嘉瀬・長富を合併,4大字を継承したが,同31年長富は五所川原市に編入し,当町は8大字を編成。昭和30年の世帯数3,231・人口1万5,472。農林省は,昭和23年国営十三湖干拓建設事業を計画,十三湖・内潟沼・湿地原野の干陸開墾,水田排水改良がなされ,岩木川右岸津軽平野北部については,同43年完了した。また昭和42年五所川原市・金木町・中里町・市瀬【しうら】村の1市2町1村にまたがる4,325haの生産性の極めて低い水田地帯の農業の生産性を高め,営農の安定を図ることを目的として,金木字芦野に東北農政局小田川農業水利事業所が開設された。事業内容は,用水の安定を図るための小田川ダム建設,旧十川の揚水機2か所の設置,幹線用水路の新設,乾田化を図るための用排水路の分離と排水施設の整備をする,などである。さらに,関連事業(県営・団体営事業)として基盤整備事業により機械化営農体系を確立することもあげられている。全体実施設計期間は昭和39~40年度,着工は同41年度であった。用水については,不足推量3,781万m[sup]3[/sup]解消のため,金木町小田川山の小田川上流に1,111万m[sup]3[/sup]を確保すべく昭和43年9月ダム建設着工。同52年付帯工事を含めて竣工した。総貯水量970万m[sup]3[/sup]。揚水機場については五所川原市尻無,金木町蒔田に各2機,潅漑面積2,700haを計画。排水については,鳥谷川の延長約7kmにわたる改修と新河排水路(延長約5km)および新河排水機場新設,中里排水機場の更新などである。関連事業としては,県営で新設用水路13路線,延長23,7kmによる用水改良,排水路の新設改修7路線,延長約14.8km,排水機場4か所を設置し,湛水被害の除去と地下水位の低下を図る。団体営として区画整理と暗渠排水を行う,などが計画されている。これらの事業による金木町の受益面積は1,376ha。事業完了は同59年時点で昭和62年を予定している(国営小田川農業水利事業概要書)。なお当町の津島家は,金木地方きっての豪農で,「山源」と呼ばれた津島源右衛門は,明治期から大正期にかけて,金木銀行・金木電灯などを興し,衆議院議員・貴族院多額納税議員を務めた人である。その長男の文治も青森県知事・参議院議員・衆議院議員を務めた。「津軽」「斜陽」「人間失格」などで知られる作家の太宰治は源右衛門の六男にあたり,本名を津島修治という。彼の業績を記念するため,昭和40年太宰治碑が登仙岬に建立された。また,全国各地から太宰出生の地である当町を訪れる愛好家が多いため,これに対応するべく,当町では昭和50年「太宰の町金木をつくる会」を結成,中央公民館に太宰資料室を設置し,その後芦野公園内に建設された金木町立歴史民族資料館に移された。現在斜陽館という旅館になっている彼の生家,芦野公園・川倉賽の川原など彼ゆかりの地の整備に努めている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7250598