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切田(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ三本木村,明治43年三本木町,昭和30年三本木市,同31年からは十和田市の大字。明治24年の戸数184・人口1,353,厩134,学校1,水車6,船10(徴発物件一覧)。同42年の戸数224・人口1,635(三本木産馬組合要覧)。同25年学校事務のための区会が設けられ,切田は第3区となる。明治41年切田・外ノ沢の各校は,それぞれ下切田・上切田尋常小学校と改称された。同42年下切田・上切田両信用組合が設立された。大正に入ると第3区会は大字切田会と呼ばれるようになり,独自の事業を起こすようになる。大正6年切田耕地整理組合を発足させ,本格的な開田に取り組み始めた。同10年切田育英制度を設け,中等学校以上の生徒に対し奨学金貸付けなどを行った。同15年切田信用購売利用組合を設置。昭和に入ってから,他町村に電灯がともっていくのに,切田へは僻遠の地であることを理由に電力会社が進出を渋るのをみて,大字切田会は全村あげて水力発電所の建設に取り組み,昭和7年全戸に電灯をともした。第2次大戦後は,昭和22年切田中学校が,同25年下切田中学校が開校。また明治35年に発足した上切田小学校夏間木分教場は,昭和23年独立して中学校を併置し,夏間木小・中学校となる。のち同33年に下切田中学校が,同44年には夏間木中学校が切田中学校に合併した。昭和23年切田・赤沼・中掫【ちゆうせり】で三和農協を組織し事務所を切田に置いたが,同26年独立して切田農協となった。昭和23年に大字切田会は切田財産区に改組されている。この後農地解放などもあって,意欲的に開田を行い水田稲作地域となっていく。昭和31年切田神楽のうち権現舞・三番叟・鶏舞・山の神・機織の5曲が,県無形民俗文化財第1号の指定を受けた。世帯数・人口は,昭和8年293・2,298,同30年326・2,461。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7250770