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平館村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。津軽郡田舎庄のうち。弘前藩領。村高は,「貞享郷村帳」では寛文4年以降に開発された新田として見え488石余,「貞享4年検地水帳」では当村の枝村として根岸村・石崎村の2か村が見え,枝村分を除いて148石余(田123石余・畑屋敷25石余),「寛保高辻帳」488石余,「天保郷帳」188石余,「旧高旧領」176石余。枝村の根岸村・石崎村は,享保11年当村から分村してそれぞれ独立した村となった(村名改称并新村創立調)。当村は海上交通上の要衝として早くから重要視され,「国日記」によれば,寛文4年には木村太右衛門・清野次五兵衛が平館の沖横目に任命されており,翌5年には平館および小泊の沖横目に対して間役銀・面役銀や木綿・紙などの諸役の取立てが命ぜられている。同9年には平館沖横目の管轄であった東風泊の舟役が蟹田沖横目の管轄に移った(東津軽郡誌)。貞享3年には平館湊目付として棟方金右衛門・外崎佐介の2人の名が見える(津軽史)。「貞享4年検地水帳」によれば,小字に「若山・湯野沢・後田・宮本・小川」があり,反別は枝村分を除いて田15町6反余・畑屋敷8町余(うち郷蔵屋敷3畝余・湊目付番所2畝余をふくむ屋敷地5反余),また,枝村分をあわせて開発予定の田畑計4町5反余,見取場畑18町余,空地2町9反余,永荒田畑計3町9反余,漆木3,634本,留山2か所(鷹待場),浜2か所・38町3反余,塩釜2か所,出湯場1か所があり,このほか八幡社・明神社・稲荷社・弁才天堂の社地など4か所が除地となっている。元禄3年には後潟組に属し,村位は下(平山日記)。当村は用水支溝を境として南の根岸村に南接する。明和3年の地震で当村にあった御用郷蔵が潰れた(同前)。当村の海岸に沿って村内を南北に通る松前街道は,松前藩が参勤交代の際に利用した街道で,岡村五郎兵衛家が本陣となっていた。しかし,天明3年の飢饉の時に困窮した同家は,この家を取り壊したうえ売り払いたいと藩に願い出た。この時弘前藩は松前藩の本陣であるため,建家のままの売却を認めたが,取り壊しは認めなかった(同前)。天明7年後潟組根岸平館石崎村生荒地書上帳によれば,天明飢饉後の当村の田畑の状況は,田18町2反余のうち6町6反余が荒廃田,畑7町3反余のうち2町7反余が荒廃畑となっている。天明8年に当地を来遊した古川古松軒は,紀行文「東遊雑記」の中で「平館は漁家三百軒余の町なり,鯣をとる最中にて家々おびただしき事也」と記している。高山彦九郎「北行日記」によれば,寛政2年の平館の家数70軒程。伊能忠敬の「測量日記」では,享和2年の平館の家数は85軒とある。文化6年御郡在開発田方調帳によれば,享和3年・文化元年の2年間に,当村では1反歩の荒田開発がなされている。また,明治3年後方組平館村文化以来畑田成并空地開発田方調帳によれば,文化年間から明治3年にかけての新開地は,畑田成が4反余(高2石余),空地田成が1町4反余(高7石余)となっている。松浦武四郎の「東奥沿海日誌」によれば,嘉永3年の平館の人家は100軒程,松前家の本陣があり,家並みには船問屋と農家が混在し,ほかに船番所があると記している。寛政年間頃より上磯沿岸に異国船が出没するようになり,藩は沿岸防備のために湊番所に武器を備えるように命じた。文化8年に湊番所には鉄砲5挺が備えつけられている(要記秘鑑,弘前図書館蔵)。弘化4年3月には異国船が当村に寄港し,8名が上陸し食糧を求めるという事件が起きた。また,嘉永元年4月にも異国船が当村と竜浜(現三厩村)の沿海に現れた。このような状況に対処するため,嘉永元年藩は村の北部沿岸に台場を建設し,翌2年には陣屋をも設置した。この台場の敷地は約130坪,扇形をなし,周囲には高さ6尺の土塁がめぐらされ,設置された大砲の命中距離は500~600m程であったという(平館村史)。この台場は,箱館戦争終了後不要となり,明治2年に撤去された。神社には,八幡宮が字門の沢にある。同社はのち明治5年に平館神社と改称する。寺院には,天和年間の草創という浄土宗福昌寺(もと福昌庵)がある。同寺には寺宝として,円空作の木造観音菩薩像と正徳4年鋳造の梵鐘がある。明治4年弘前県を経て,青森県に所属。同11年東津軽郡に属す。明治初年の戸数35(国誌)。明治10年頃の陸奥国津軽郡村誌によれば,戸数37・人口223(男111・女112),馬20,船17(50石未満の艀漁船のみ),税地は田51町7反余・畑11町2反余・宅地2町5反余・山林7町3反余・秣場2町4反余など計75町5反余,物産は米・大豆・鱈・海参【いりこ】。明治9年5月平館小学(現在根岸に所在)が開校,開校時の生徒数15・教員数1(平館村史)。同校は,同13年明強小学と改称したが,同19年平館簡易小学校と再び改称。同12年の「共武政表」によれば,戸数35・人口256(男132・女124),馬16,学校1,物産は鯖。同22年平館村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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