100辞書・辞典一括検索

JLogos

23

外崎(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ豊田村,昭和30年からは弘前市の大字。明治24年の戸数75・人口561,厩30,学校1(徴発物件一覧)。同25年外崎簡易小学校は外崎尋常小学校と改称。同30年同校は小比内に校舎新築移転。昭和16年外崎国民学校と改称。同22年同校は新里【にさと】・福村の国民学校と合併し,豊田小学校となる。明治28年奥羽北線弘前~碇ケ関【いかりがせき】間が開通し,地内を列車が走ることになった。大正10年中津軽郡統計書には,小字として村元・富岡・豊田がみえる。昭和2年弘南鉄道弘南線の弘前~津軽尾上間が開通。字富岡に松森町停留所が設置され,地内を列車が走ることとなった。同停留場は同4年南弘前駅と改称。同32年弘前高等電波学校が字富岡に開校,本科・高等科を置く。同40年学校法人となり,同44年弘前電波工業高校となる。一部が昭和41年南大町,同48年城東1~2丁目・城東中央1~4丁目・外崎1~2丁目・城東北1~3丁目・稲田2丁目,同50年外崎3丁目・城東北4丁目・城東中央5丁目,同51年城東3~4丁目・外崎4~5丁目,同52年高田1丁目,同58年南大町1丁目~2丁目となる。昭和55年の世帯数495・人口1,453。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7251694