長峰(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ蔵館村,昭和26年蔵館町,同29年からは大鰐町の大字。明治24年の戸数156・人口806,厩88,学校1(徴発物件一覧)。羽州街道沿いの集落で,南の唐牛とは平川の福島橋で結ばれるが,この橋は羽州街道が参勤道路となって間もなく元禄期に架橋されたという。現国鉄奥羽本線が開通したのは明治27年であるが,駅はなく不便であった。第2次大戦前は碇ケ関駅と国鉄五能線木造駅間を走るガソリンカーの停留所があったが,戦後廃止されていた。昭和27年待望の長峰駅が開設され,また秋田県大館と弘前間に両地の民営バスの相互乗入れも行われて便利になっている。郵便事業も昭和9年蔵館郵便取扱所が開設,同12年には蔵館郵便局,同30年には長峰郵便局として現在に至っている。産業は米作のほかに山麓を利用してのリンゴ栽培に力を入れ,明治41年長峰林檎組合が成立し,昭和19年には農業会,同23年には農協に改組された。小学校も大正9年高等科を併置。明治35年長峰農業補習学校が小学校に併設され,大正15年に長峰青年学校となったが,昭和23年閉校した。昭和22年には蔵館中学校が蔵館・長峰の両小学校に併設されて開校,同32年には大鰐中学校に合併された。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7251849 |





