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岩崎村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。和賀郡のうち。盛岡藩領。鬼柳通に属す。慶長5年和賀忠親によって岩崎一揆が起きる。花巻城の夜襲に失敗した忠親は岩崎城に籠るが,南部利直に攻められ,翌6年落城,仙台に奔り自害した(岩崎一揆由来記・岩崎記)。七折館・兵庫館跡は岩崎城攻めの際の南部方の陣場跡という(邦内郷村志)。慶長6年柏山明助が岩崎城代となるが,寛永元年南部利直によって毒殺され,まもなく柏山家は断絶,岩崎城も廃城となる(県史)。地内梅の木にあった正雲寺は柏山家の菩提を弔うため,折居宮内(明助の子)が建立した寺で,墓地跡には伝柏山平左衛門の五輪塔がある。柏山明助は本貫地である更木村に500石のほか,山口・煤孫・岩崎村に500石の計1,000石を知行していた(同前)。村高は,「正保郷村帳」509石余(田462石余・畑46石余),「貞享高辻帳」598石余,「邦内郷村志」2,033石余(うち給地133石余),「天保郷帳」1,133石余,「安政高辻帳」909石余,「旧高旧領」1,721石余。なお,「邦内郷村志」では当村とは別に夏油村12石余および延宝6年に当村から分村したという岩崎新田209石余が見える。夏油村・岩崎新田ともに郷帳類では当村のうちに含まれており,岩崎新田は「本枝村付並位付」では当村の枝村として見える。ただし,岩崎新田は「旧高旧領」では当村とは別に独立した村として記されており,明治初年には独立していたものと思われる。享保2年検地では村高1,426石余で,当村に知行地を持つ給人は坂水又七28石余・鈴木伝左衛門27石余など7氏(和賀郡村別給所高/北上市史)。「邦内郷村志」によれば,家数148,うち岩崎112・七折5・夏油7・宿7・城内4・中島13,馬数278,ほかに新山権現・八幡社・駒嶽権現・梅木天神,曹洞宗泉徳寺・正雲寺がある。「本枝村付並位付」によれば,位付は上の上,家数は岩崎新田を含めて187,集落別内訳は本村120・七折6・蒲沢3・夏油18・宿9・城内4・中島12・新田14。南西・南東部の台地は痩地で水利にも恵まれなかったが,沖積地は沃地で田作が中心であった。文政4年産物書上帳によれば,特産品は夏油の木の葉石および,岩崎新田・夏油の起炭で,炭釜御役銭を上納している。天保8年「御蔵給所惣高書上帳」では,御蔵高1,568石余(うち川欠高39石余)・給所高77石余。黒沢尻通・鬼柳通では百姓一揆が頻発し,特に享保16年の鬼柳通4か村の年貢坪役銭反対一揆には当村から78名が加勢,要求は入れられたが翌17年にかけて過役銭・打直検地などの報復を受け,9軒・39人の逃散者を出した(山口村古撰書留覚)。この一揆ののち二十日盆には悪魔退散・念仏供養のための岩崎鬼剣舞の伝授が行われている(念仏剣舞秘伝書/わが鬼剣舞の里)。北部を東西に沢内街道(鬼柳道)が通り,中島と下江釣子【しもえづりこ】村の佐野を結ぶ和賀川渡しを経て花巻に至る岩崎街道が北に通ずる。岩崎街道は黒沢尻経由の奥州街道ができる以前の本街道である。享保13年下中島に新物留番所が設置され,和賀川通船を取締った(藩法度)。「従花巻夏油温泉迄一見記」によれば,夏油温泉へは梅の木から岩崎新田・内畑を経て湯道が通じ,延享4年で4棟の湯治小屋,3か所の湯壼,湯神などがあり,4月下旬から8月下旬まで開湯した。また,当村は仙台藩領に接し,天正19年から寛永19年の藩境塚設置まで争論が続き,その後も元禄年間まで藩境をめぐっての確執が続いた。藩境塚は駒ケ岳の駒堂を起点に三陸海岸唐丹【とうに】湾に至る約130kmにわたって置かれた(南部伊達両藩境塚)。駒堂は煤孫村馬峰観音を慈覚大師が駒ケ岳山頂に祀ったと伝承され(邦内郷村志),盛岡藩に和賀別当(岩崎村),仙台藩に伊沢別当(西根村)がそれぞれ置かれ,駒堂の建替は両藩で半分ずつ行った。明治元年松本藩取締,以後盛岡藩,盛岡県を経て,同5年岩手県に所属。なお夏油川以東の一部は明治元年松本藩取締,以後江刺県,盛岡県を経て,同5年岩手県に所属したという(岩崎村郷土教育資料)。同12年東和賀郡に属す。明治6年蒼前に小学校を創立,同11年宮田に移転し分校を久田と門屋に設置,同20年これらを統合して柳田に岩崎尋常小学校を設置(岩崎小百年の歩み)。明治11年の村の幅員は東西25町・南北1里14町,税地は田175町余・畑198町余・宅地25町余・荒地12町余など計477町余,戸数221・人口1,238(男629・女609),牛17,馬172,漁船2,神社4・寺院2,公立小学校岩崎学校の生徒数215(男116・女99),職業別戸数は農業214,物産は馬・牛・鶏・鶩・鶏卵・鰻・鮭・鮎・米・大豆・小豆・大麦・小麦・粟・稗・蕎麦・蘿菔・栗・麻布(管轄地誌)。同22年岩崎村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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