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浮田(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ中内村,昭和30年からは東和町の大字。明治22年の面積445町余,戸数93・人口583(県町村合併誌)。同26年浮田尋常小学校の校舎焼失,翌27年新築。同校は同45年中内尋常高等小学校浮田分教場となるが,大正6年独立し,その後浮田国民学校を経て,昭和22年浮田小学校(4学級・児童数158)となる。同45年浮田・中内・倉沢の3小学校が統合され浮田小学校発足。同57年の学級数は6,児童数は141。当地のバスの運行は昭和27年の土沢線,同30年の中内線が開通してからである。同31年には大火があり9世帯50棟ほどを焼失している。当地に緬羊が入ったのは大正8年頃で,その後浮田緬羊組合を結成し拡張,ホームスパンの生産にまで伸展した。一時衰退したが,現在では当地方の特産品ともなっている。当地の文化財は松崎阿弥陀堂什宝(仏画10点)が町有形文化財に指定されているほか,早池峰【はやちね】岳流浮田神楽・太田目田植踊が町無形民俗文化財,浮田の種蒔桜が町天然記念物の指定を受けている。昭和50年の就業者数は347人,うち216人が農業で43人が製造業,25人が卸売業・小売業そのほか建設業・サービス業などとなっている。農業は平坦地の多い上浮田が水田率が高く,畑も葉タバコのほかリンゴなどの果樹園もある。下浮田は水田率より畑率が高く,また規模の大きい肥育牛飼養農家もある。同55年の世帯数130・人口575。なお,地内には上浮田・下浮田などの通称地名がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7253031