高木(近代)

①明治22年~現在の大字名。はじめ矢沢村,昭和29年からは花巻市の大字。もとは高木村のうち小舟渡を除く地域。明治22年の戸数181・人口1,019,田41町余・畑226町余・宅地22町余・山林11町余・原野28町余(郡勢要覧)。同年役場を佐藤彦助氏宅に設置。同24年高松字安野に移転。同28年県道花巻釜石港線が開通。当地は,この県道が横断する北上川左岸に位置しており,川の両岸を結ぶ舟渡場があったため繁栄した。しかし同37年朝日橋(舟橋)が架けられ,さらに同40年木橋に架け替えられるに及び,舟渡場の不便さは解消したが,舟渡場および業者は衰退し,消滅した。その後昭和7年に近代的なワーレン型の橋に架け替えられ現在に至る。また県道は同44年国道283号となったが,近年交通量が激増し,当地内の交通渋滞が激しいため,朝日橋の下流に朝日大橋を架橋する工事が進められ,同57年完成し,交通渋滞の緩和に役立っている。小学校をみると,明治41年高木小学校に矢沢尋常高等小学校が高松字安野より移転併置し,高木尋常高等小学校と改称,さらに同44年矢沢尋常小学校と改称,大正14年字安野に移転,昭和47年矢沢地内の3つの小学校を統合して,矢沢小学校と改称し,校舎を当地東部の丘陵に新築移転した。同年花巻たかき幼稚園が開園。大正9年高木製糸場を県の奨励金などをもって設立,その後三益社(200釜)・県糸連の経営で昭和初期まで操業した(花巻市史1・昭和県政覚書)。寺院は,大正11年開運山不動寺が高木小路に開創,本寺は,はじめ真言宗醍醐派に所属したが,昭和22年真言宗智山派に所属替えをした。昭和5年矢沢信用購買販売利用組合の事務所が開設され,同23年矢沢農協に改組設立。昭和15年矢沢郵便局が開局。同41年矢沢巡査駐在所が当地に移転し,矢沢全域を警邏区域とする。同49年東部の丘陵地に約1万6,988m[sup]2[/sup]の宅地が造成され,同57年447世帯・1,488人の住宅団地が完成した。②明治22年~昭和29年の大字名。はじめ花巻町,昭和29年4月からは花巻市の大字。もとは高木村小舟渡の一部。明治22年の戸数36・人口329。昭和4年花巻川口町高木を編入。同29年5月上小舟渡・下小舟渡・下幅となる。③明治22年~昭和4年の花巻川口町の大字名。もとは高木村小舟渡の一部。明治22年の戸数1・人口3。昭和4年花巻町高木に編入。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7254083 |





