土川(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ一方井村,昭和30年からは岩手町の大字。明治16年に浮島分教場が廃されてから,当地の全域が一方井小学校の学区となった。同22年の面積897町余,戸数51・人口332(県町村合併誌)。北部を横断する西根街道は大正14年に改修され,昭和10年代には一方井・沼宮内方面にバスが運行された。第2次大戦後,南部丘陵地域が開拓された。昭和22年一方井小学校浮島分校が開設され,同31年浮島小学校となる。世帯数・人口は,昭和30年258・1,750(一部他地域を含む),同55年327・1,533。昭和50年西根町大更【おおぶけ】に至る道が県道岩手西根線となる。浮島古墳群は大正12年に調査され,昭和32年岩手大学によって4基が発掘調査された。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7254228 |





