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普代村(近代)


 明治22年~現在の自治体名。はじめ北閉伊郡,明治30年からは下閉伊郡に所属。大字は編成せず。戸数・人口は,明治22年290・1,884,同34年311・1,905。明治28年普代小学校に4分教場が置かれる。同34年鳥居・茂市・芦渡の分教場が合併して鳥茂渡小学校となり,児童数34・教員2,普代小学校の児童数は同34年47,大正5年182,昭和17年249。黒崎分教場は昭和16年独立し,同17年の児童数63。太平洋に臨む東部沿岸地区ではたびたび津波の被害があり,明治29年の三陸大津波では最大浸水高太田名部22.18m・普代18.12m・堀内12.93mで,普代村総人口2,038のうち死者1,010,流失家屋258の大惨事であった。また,昭和8年の三陸大津波では最大浸水高太田名部16.68m・普代13.35m・堀内10.60mを記録し,死者・行方不明者は太田名部100人・普代34人の被害を受ける(県昭和震災誌)。浜街道(現国道45号)の駅の1つであった普代は,沿岸郡村の陸上交通の主軸をなしていたが,難所が多かった(県史)。大正9年定期航路が開設され,石油発動機船により宮古・田老【たろう】・島越と結ばれる。同13年の職業別戸数は農業156・漁業164・商業38・工業4・雑業25,物産概略では米90石・麦730石・大豆975石・小豆29石・粟157石・稗2,497石・馬鈴薯1万6,250貫・大根1万8,240貫,家畜頭数牛323・馬56・鶏345,また水産物では鰤16万5,000貫・鮪2万5,000貫・鮭2万5,000貫・鱒1万2,000貫・鮑1万4,000貫,春繭1,038貫・夏秋繭315貫,林産物では用材2,883石・薪2万3,535棚・木炭16万貫(県町村誌)。世帯数・人口は,大正9年381・2,525,昭和10年553・3,158,同25年650・3,903。昭和2年堀内に沿岸漁業の発展に寄与する冷凍工場を設立。同5年国鉄八戸線が久慈まで開通,同12年久慈~普代間にバスが開通。同13年の当村の生産力は農産8万5,699円,畜産1万1,402円,林産(主として木炭・木材)29万7,774円,工産1万6,874円。同16年黒崎に村内初の電灯がともる。日清戦争の戦死者は白井で1,日露戦争では茂市1・萩牛1,太平洋戦争で普代25・黒崎10・太田名部17・白井6・力持3・堀内16・鳥居7・茂市9・萩牛3。昭和22年普代中学校が開校。農地改革による昭和22年・同24年の比較は,農家戸数479から455へ,うち自作農220から352,小作農162から17,耕地は水田自作地3.3町から4.5町,畑自作地170.7町から287.9町,小作地108.9町から29.2町へと変化している(県統計年鑑)。昭和22年黒崎漁協が普代灯台を設置,のち国に移管し同41年陸中黒崎灯台となる。昭和30年黒崎海岸が陸中海岸国立公園に指定され,同32年黒崎まで国鉄バスが開通。同35年三陸フェーン大火による山林焼失面積2,000町,黒崎小学校も焼失。同39年村営国民宿舎「くろさき荘」が完成。沢川に同45年堀内大橋,同49年大沢橋梁架設。昭和47年国道45号の全面的改良工事完成。同50年国鉄久慈線が開通,普代駅・堀内駅が設置され,久慈との結びつきが強くなる。同54年鳥居地区に自然休養村「緑の村」開設。三陸鉄道北リアス線普代~田老間は同59年開業。現在地内は,普代一・普代二・普代三・黒崎・鳥居・堀内・茂市・太田名部・力持・白井・芦渡・萩牛の12行政区に分けられている。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7254794