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百岡村(近世)


 江戸期~明治8年の村名。胆沢郡のうち。仙台藩領。村高は,寛永検地97貫余(田87貫余・畑10貫余),「元禄郷帳」891石余,「安永風土記」102貫余(田87貫余・畑11貫余),「天保郷帳」「旧高旧領」ともに1,023石余。明和9年の家数71(封内風土記)。「安永風土記」によれば,蔵入地75貫余・給地26貫余,人頭74(うち寺1),家数78(うち水呑4)・人数386(男219・女167),馬79,神社は伊勢社・白山社・駒形社,鎮守は毘沙門堂,寺院は曹洞宗高松山生城寺がある。生城寺は,永徳寺16世放山天鷹和尚の開基であり,柏山伊勢守の先祖の墓と伝えられる月星を刻した石碑がたてられている。また同寺には,正直者の漁師が夢のお告げで百合の花の根元から黄金の玉を得たという稲子沢長者の伝説がある。明治元年沼田藩取締,以後前橋藩取締,胆沢県,一関県を経て,同4年水沢県に所属。明治3年永徳寺村の村民とともに水沢町長戸坂屋万六を介し,年貢完納が不可能なことを訴え出ている(県農業発達史)。同6年生城寺を校舎として生城寺小学校が開校,同年の生徒数31(金ケ崎町史)。同8年永栄村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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