100辞書・辞典一括検索

JLogos

29

太田村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。桃生郡のうち。地名の初見は,寛永6年11月11日の伊達政宗領知黒印状で「七貫百八拾三文 同(桃生)大田村」とある(伊達家文書2)。明和9年の戸口は182(封内風土記)。安永5年の村高188貫98文・人頭187・人数922。鎮守は日高見神社,ほかに月山・愛宕【あたご】・熊野・雷神・清川王子・羽黒・伊勢・八幡・鹿島・十二神などがあった。寺は曹洞宗の舎那山長谷寺・太田山吉祥寺。修験は羽黒派法行院・本山派良国院(安永風土記)。文政11年の村高182貫421文・人頭160・人数893(及川徳松家所蔵文書/桃生郡南方北方本吉郡南方風土記)。「天保郷帳」の村高1,780石余。丘陵地帯のため12か所に堤を築いて用水としていた。丘陵の西を古川が流れ,桃生郡寺崎から同郡飯野川へ通じる道が村の中央を通っていた。長谷寺の十一面観音堂は,源頼朝が義経の菩提を弔うために建立したと伝えられる(安永風土記)。明治元年高崎藩預り地となり,以後,桃生県・石巻県・登米【とめ】県・仙台県を経て,同5年宮城県に所属。同22年桃生村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7255612