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皿貝村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。桃生【ものう】郡のうち。明治維新まで同村大網【おおあみ】の片倉小十郎知行分1貫25文と御林4か所を除き仙台藩の蔵入地。寛永18年の村高28貫286文・家数18(大日孁神社蔵/寛永18年検地帳写)。宝永5年の村高40貫870文・戸口78・人数576(わがふるさとの町飯野川)。明和9年の戸口76(封内風土記)。安永5年の村高40貫832文・人頭79・戸数80・人口448・馬90。鎮守は多峰権現社,ほかに稲荷・八幡・熊野・照井明神があった。寺は曹洞宗太良山観音寺,修験は本山派成就院(安永風土記)。天保年間の村高428石余(天保郷帳)。天保の飢饉による死者は,天保7年29,同8年95(観音寺過去帳)。明治元年の備荒倉の貯籾は78石2斗5升。備荒倉には大麦も蓄えられており,肝煎組頭が連署して大麦14石の払下げの願書を大肝煎に出している(河北町誌)。文久元年から明治4年まで寺子屋の及川塾があり,明治3年の寺子数は男60。明治6年皿貝小学校開校,生徒数男90・女3。修験成就院を中心とした皿貝法印神楽が伝承されており,鎮守の大日孁神社(多峰権現)の祭りに奉納される。明治元年高崎藩預り地となり,以後,桃生県・石巻県・登米【とめ】県・仙台県を経て,同5年宮城県に所属。同22年桃生郡飯野川【いいのがわ】村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7256435