中島村(近世)

江戸期~明治22年の村名。桃生【ものう】郡のうち。江戸期は仙台藩の蔵入地。上納石高は793石余で,うち202石余は文政年間の新田開発による。杉に藩の御蔵場があった(河北町誌)。享保6年の村高82貫318文(わがふるさとの町飯野川)。明和9年の戸口130,鎮守は稲荷社,他に白山権現がある。寺は曹洞宗花輪山天星寺(封内風土記)。同寺は山内首藤氏の菩提寺で,同頼通の代に開基といい,その持仏と伝える仏像2体と鰐口が残されている。安永5年鎮座の稲荷社・牛頭天王・白山社があり,ほかに観音堂があった。修験は羽黒派宝珠院。天保年間の村高793石余(天保郷帳)。天保の飢饉による死者は,天保7年50人,同8年151人(天星寺過去帳)。寺子屋の川田塾が文久元年から明治4年にかけて開設された。明治2年の寺子数男75。同6年中島小学校開校,生徒数男42・女3。明治元年高崎藩預り地となり,以後,桃生県・石巻県・登米【とめ】県・仙台県を経て,同5年宮城県に所属。同22年桃生郡飯野川【いいのがわ】村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7257003 |





