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大沢郷宿村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。出羽国仙北【せんぼく】郡(寛文4年まで山本郡)のうち。慶長8年最上氏領,元和8年幕府が収公,寛永元年本多正純に給付,同12年再び幕府領となる。寛永17年矢島藩領となるが天保2年みたび幕府が収公,同3年替地を行い秋田藩領となり幕末に至る。「正保国絵図」の本田当高は567石,「元禄知行高辻帳」でも567石,「天保郷帳」では970石余。元和9年幕府の重臣本多正純が当村に配流され1年間在住,宝暦年間には亀田街道が整備され,当村から亀田藩領への通行は番所で検査を受けた。宝永元年,百姓清七が藩命により斬首された。彼は延宝8年以降冷害・不凶にもかかわらず誅求を続ける役人を訴え,藩が取り上げないとみるや幕府に直訴し,勝訴となったが悲運の最期をとげた。義民清七の塚が現存。村鎮守は山神社。明治22年仙北郡大沢郷村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7258480