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押切村(中世)


 戦国期に見える村名。出羽国秋田郡のうち。天正19年正月17日豊臣秀吉が秋田実季の当知行を安堵した朱印状写に,「おしきり村・白水沢村・横町村・満さか村・立すミ湊村」484石余とある(秋田家文書)。「慶長6年秋田家分限帳」では,栗沢弥五郎の代官所支配の村として,「湖東通北押切村」50石余と記載(同前)。押切村の北に押切城があり,城の北は夜叉袋【やしやぶくろ】村・蒲沼【がまぬま】村・原添【はらそえ】村なので,押切村の北方に北押切村があるとみるよりは,両村が同一の村であったと推定される。押切城は馬場目川旧河道や沼池と中島を利した水城的な平城であり,天正年間に旧浦【うら】城主三浦盛永の遺子五郎盛季が安東(秋田)氏庇護下に築城したと伝えられる。一日市はその城下町的存在。城址は東西440m・南北900mで,濠の幅40~60m。昭和20年代に埋め立てられ,田畑となる。なお,城の付近には,浦城城下から移した花嶽山万頭寺や三浦義包の霊をまつる若宮八幡社もあったという(雪の道奥・雪の出羽路)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7258633