小山田村(近世)

江戸期~明治22年の村名。出羽国河辺【かわべ】郡(寛文4年まで豊島郡)のうち。秋田藩領。慶長8年の村高155石余と推定される。「正保国絵図」では山田村本田当高178石とあるが,大山田が小山田の内大山田村と無高の形で出ている。しかし「元禄7郡絵図」では大山田村の内小山田村となり,178石余は大山田村の高になっている。村名は流動するが,享保期以後では小山田がほぼ180石前後の当高で,大山田は80石前後で一定しているから「山田」といわれる地域の中心村落は小山田であったものと認められる。「享保黒印高帳」では村高204石余・当高187石余(うち本田142・本田並39・新田6)。「享保郡邑記」では33軒。「寛政村附帳」では親郷牛島村の寄郷で当高188石余(ほとんど給分)。「秋田風土記」では30軒・178石余。「天保郷帳」では大山田村とともに267石余。この頃の人口123・馬20(羽陰温故誌)。鎮守熊野神社,ほかに神明社が鎮座。旧家惣右衛門の先祖は太平【たいへい】山修験でこの地の開発者であり,正保3年の野帳から家に持ち伝えていた。用水は小山田川水系の沢川でウリの名産地でもあった(秋田風土記)。明治の郡区町村制下には猿田村に戸長役場を置き,御所野【ごしよの】・古野【こうの】・大山田・大杉沢・大戸・百崎【ももさき】の諸村と連合。明治22年河辺郡上北手村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7258677 |





