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鉄砲町(近世~近代)


江戸期~昭和40年の町名久保田鉄砲町・秋田鉄砲町ともいった江戸期は出羽国秋田郡のうち秋田藩領久保田城下町の1つ慶安4年に町割がなされたといわれる(政景日記)元和5年にこの町居住の弥右衛門が鉄砲20丁鋳造のための借銀を藩からしていることから,鉄砲鍛冶がいたと考えられる(政景日記)位置は久保田外町の南西部にあたり,寺町と十人衆町の間,下肴【しもさかな】町の南である保戸野鉄砲町と区別するため町鉄砲町ともいう当町は果物の家督専業権をもっていた天明4年に鉄砲町に与えられた証文に,アンズ・リンゴ・ナシ・クリ・串柿・青梅の6品について河辺【かわべ】郡・仙北【せんぼく】郡・平鹿【ひらか】郡・雄勝【おがち】郡の村々より川下げした果物を永久家督として認める旨が見える(市史)その代償として誓願寺橋と土手の普請を請け負わされている町の規模は寛文3年に間数21.5間・家数34とある(外町屋敷間数絵図)明治に入って,成立は不明だが明治13年の第3回勧業博覧会に出品しているので,その頃から仁恵学校があった(校主飽田仁恵)明治4年から秋田町の町名同11年南秋田郡に所属同22年秋田市の町名となる明治18年の戸数は85とあるが(秋田町字分戸数調),翌年の俵屋火事によって全焼した昭和40年住居表示実施により大町6丁目の一部となる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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