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東里村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。出羽国平鹿郡(寛文4年まで仙北郡)のうち。秋田藩領。藩政初期に藩老梅津憲忠の命により,山形最上氏の遺臣で水里の住人佐藤金佐衛門・同利兵衛の兄弟が新田開拓に従事して村の基礎をつくり,漸次開拓が進められ,甚兵衛沼・金助堰などの名が残る。「享保郡邑記」戸数79(うち枝郷分52),「秋田風土記」戸数102(遠里とある)。「享保黒印高帳」村高1,027石余・当高760石余(うち本田270・本田並258・新田232),「寛政村附帳」当高799石余(うち蔵分49・給分750),「天保郷帳」760石余。「雪の出羽路」では,家数69・人数308・馬数46とある。親郷は18世紀には八沢木【やさわぎ】村,19世紀には沼館【ぬまだて】村。枝郷は東槻・廻館・釘貫田・柄内・新屋・北沢の6か村。村鎮守の水里神社と稲荷明神社(別当修験忠応院)がある。明治7年里見学校創立。代々の肝煎佐藤利兵衛家文書がある(郷土史資料第6集)。同22年平鹿郡里見村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7260128