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畑村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。出羽国由利【ゆり】郡のうち。元和8年まで最上【もがみ】領,同9年より仁賀保【にかほ】領,同17年より生駒【いこま】領となる。元和9年の村高221石,諸役は夜廻役銀6匁5分6厘・山手役銀1匁4分・炭釜役銀9匁・漆であった(町史)。「天保郷帳」では村高250石余。天保年間まではあまり新田開発が行われなかったが,天保10年大谷地に新田が成立し,鍬下年季休み21か年であった。また安政2年には硫黄分の強い白雪川に代わり,高橋川という分水を伊勢居地【いせいじ】の住民池田吉兵衛が開削し,畑村の水田が大いに役立ったと伝えられる(町史)。弘化3年,白雪川を挾んで隣接する大竹村との間で橋に関する争いがあり,江戸寺社奉行への訴訟となり「勝つても敗けても一文にもならぬ江戸大公事,両村の往来千両公事にあきれ果候」(年代記)とあり,大事件となった。明治9年の戸数56・人口275(うち男151・女124)・馬102(郡村誌)。生糸12貫余を産し横浜へ輸送していた。村社に稲荷神社がある。曹洞宗長堯山秀泉寺(院内村禅林寺末)がある。同22年由利郡小出【こいで】村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7260607