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荒谷村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。村山郡のうち。はじめ最上氏領,元和8年山形藩領,寛文8年幕府領,享和元年高畠藩領,天保元年からは天童藩領。村高は,寛永13年の領地目録(家世実紀)541石余,「天保郷帳」1,297石余,天保13年の村山石高帳1,288石余,「旧高旧領」では1,298石余。宝暦11年の村明細帳では,村高788石余,家数67・人数182,郷蔵1。寺院は浄土真宗則円寺,ほかに熊野社・観音堂がある。小物成は山年貢永598文・漆木実役永3貫426文・林下草銭1貫222文・松落葉取札役永2貫838文などを負担。農間余業として男は薪伐り,女は畑の草取りなどを行う(天童市史資料2)。村の北西には江戸中期から開発された荒谷林畑といわれる秣場があり,近村9か村との入会開作畑となった。安永7年の反別は187町余。また荒谷原の開墾は,明治期以降になって急速に進められた。明治3年の戸数93・人口567。旧山形県を経て明治9年山形県に所属。同11年の一覧全図では,反別403町余,戸数100・人口557。明治11年東村山郡に属し,同22年山寺村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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