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海味村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。村山郡のうち。はじめ最上氏領,元和8年庄内藩主酒井忠勝の弟忠重の知行,寛永15年からは幕府領。村高は,元和8年663石余(編年西村山郡史),寛永2年12月12日の徳川家光知行宛行状写(記録御用所本古文書)では634石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに943石余,天保13年の村山石高帳でも変わらず。寛永10年白岩一揆が起き,天保8年にも白岩郷騒動が起きている。明和9年の村明細帳では,本新田畑合わせて石高876石余,反別田30町8反余・畑10町8反余。農間余業として白岩・寒河江・谷地方面に薪を売り出し,布・帷子をつくる。小物成は宝暦9年から真綿売出役・麻売出役・紙漉役・漆代などが賦課され,酒造屋・糀室屋・紺屋・大工・医師・木挽き・桶屋など各種の職人がいた。また当村は出羽三山参拝客の休泊地としても重要で,行者宿9・馬子10・菓子の引売屋10・按摩20という時期もあったとされる。大江氏入国以前からあったと伝えられる愛宕堂のほか4堂があり,また元和8年白岩洞興寺の鏡山和尚によって再建された曹洞宗永(恵)林寺がある。旧山形県を経て明治9年山形県に所属。明治11年の一覧全図では,反別698町6反余,戸数105・人口678,海味学校がある。同14年には当村佐藤長八・吉川村笹島長左衛門らが中心となり,製糸改良組合拡益社を結成して海味村に製糸場を設立した(勧業月報)。明治14年,西村山郡から最初の県会議員として推薦された当村佐藤里治らが政治結社「特振社」を結成し,里治はその社長となった。明治11年西村山郡に属し,同22年西山村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7262289