東助巻村(近世)

江戸期~明治8年の村名古くは助巻村ともいった村山地方,最上川上流沿岸に位置する村山郡のうちはじめ最上氏領,元和8年左沢【あてらざわ】藩領,寛永8年幕府領庄内藩預り地,同9年庄内藩領,慶安2年からは松山藩領東五百川【ひがしいもがわ】郷に属す村高は,元禄3年の中郷組御水帳(朝日町,今井治郎三郎家文書)によれば97石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに104石余,村山石高帳によれば天保13年102石余天明7年の左沢領村々様子大概書下(県史13)によれば,家数13軒・人数66(男37・女29),馬2当村は旱損地であり,用水はあし沢の水を引く草刈場は中郷村,山林は西助巻村との入会農間余業として男は薪取り,女は太布織り・青苧【あおそ】作り明治8年西助巻村と合併して助巻村となる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7264476 |