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山上郷(中世)


 戦国期から見える郷名。置賜郡上長井のうち。天文7年御段銭古帳(県史15上)に本段銭高26貫75文の東方山上と同24貫950文の西方山上とに別記されてあらわれるのが初見。天文の乱中の天文13年10月26日,伊達稙宗は小簗川日双にあてた判物の中で,「上長井荘糠野目郷・谷野目・山上郷西方二箇所内闕所分」を添えて,遠山郷の代地として安堵している(正統世次考)。天文22年の采地下賜録(県史15上)では,山上郷の地頭領主として,富沢主計助・佐藤備中・前田河右馬允が,東方山上の地頭領主として小簗川尾張守がそれぞれ所領を下賜されている。天正15年上長井段銭帳(同前)では,山上東方が1貫844文上納し,西方は中島在家分103文を遠藤文七(郎)が直納している。天正16年5月14日,石川弾正討伐の際は政宗の子竺丸が山上原まで見送り,普門院,羽黒堂に参詣しており,同17年9月19日・10月1日には当地から政宗に鷂・若黄鷹が献じられている(伊達天正日記)。なお,永禄7年10月6日の慶山羽黒山知識売券に「山かミ・ふくだ・ささの三かう」が見えるが,これは天文19年閏5月20日の慶山羽黒山知識安堵状によれば,「なりしま(成島)卅三かふ(郷)」の内であったと考えられ,当地は中世前期には成島荘に属していたと思われる(古文書所収文書/県史15上)。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7265148