蕨岡村(近世)

江戸期~明治初年の村名。はじめ遊佐【ゆざ】郡,寛文4年からは飽海【あくみ】郡のうち。はじめ上杉氏領,慶長6年最上氏領,元和8年からは庄内藩領。遊佐郷に属す。慶長16年蕨岡衆徒中鳥海御神領帳(県史7)によれば,田1,783束苅,米14石余,居屋敷9間,家8ツ,漆101本。村高は,元和8年の御知行目録では151石余,同村大淵分として185石余,寛永元年の庄内検地高辻では蕨岡と記され409石余,「天保郷帳」340石余,「旧高旧領」195石余。当村から,大淵村が寛永元年以前に,蕨岡上寺村が寛文年間以前に分村した。正保年間の庄内絵図では,蕨岡上寺村を上蕨岡村と称し,当村は蕨岡村と称した。享和3年の御郡中村数家数人高控帳(遊佐町,斎藤家文書)では,家数13軒・人数56。幕末期の「荘内要覧」によれば,村高195石余,免5ツ,家数13軒。若宮八幡神社は誉田別命を祀り,木像の神体があり,子供好きの神として知られる。床浦神社は3尺余の千手観音を祀り,観音様と称される。同社には蕨岡上寺村との境に村境を定めた狐石という大石がある。明治初年下蕨岡村と改称。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7265357 |





