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釜子村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。白河郡のうち。はじめ会津領,寛永4年白河藩領,寛保元年からは越後高田藩領。栃本組に属した。村高は,文禄3年の蒲生高目録では1,137石余,古領高長では1,761石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに1,798石余。常陸太田街道釜子宿へ出役。当村は端郷30を有する大村で,正保・慶安年間頃に今の宿北町と称する所へ移転し,元禄年間頃までに上釜子・下釜子に分村した。元禄6年から有賀家が下釜子の庄屋に,鈴木家が上釜子の大庄屋となる。上釜子・下釜子を合わせて元禄期の家数108軒・人数750,馬163(東村史上)。鎮守は矢越神社。寺院は真言宗金竜山長福寺(江戸末期に廃寺),曹洞宗春日山長伝寺。寛政10年に高田藩領内に浅川騒動が起こり,大庄屋鈴木専助宅が打毀にあい,当村の梅右衛門らが召し捕られた。この騒動の始末として文化6年に村替が行われ,高田藩は陣屋を浅川から当地に移した。当地は明治4年まで陣屋所在地としてこの地域の中心となってきた(県史3)。明治7年長伝寺に小学校開設,旧福島県を経て明治9年福島県に所属。同10年若栗新田・嘉左衛門新田を合併。明治20年の戸数172・人口1,098。明治12年西白河郡に属し,同22年釜子村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7266789