下高久村(近世)

江戸期~明治22年の村名。磐前【いわさき】郡のうち。はじめ磐城平藩領,延享4年からは幕府領。文禄年間以降高久郷が上高久村・下高久村に分村して成立したと思われる。村高は,元禄9年の内藤検地図では1,207石,「天保郷帳」1,878石余,「旧高旧領」1,876石余。元和8年鳥居氏山形移封の折,磐城平築城の際人柱にたった丹後の孫弥蔵の横暴を憎んだ農民たちは報復を企て,これを殺そうとしたが,逃走され,その内通者として下高久村の佐藤隼人宅を襲い一族18人を焼き殺した。鳥居家家老高須弥助は一揆とみなし,農民48人を同村内で斬殺のうえ梟首した。これを高久騒動という。「元禄郷帳」にある枝郷仮名子村・同牛転新田・同谷地新田は「天保郷帳」では「古者下高久村・仮名子村・中野新田・谷地新田・四ケ村」とあり,当村に含まれている。仮名子村は山間村で堤によって用水を得ている。磐前県を経て明治9年福島県に所属。同20年の戸数194・人口1,095。明治12年磐前郡に属し,同22年高久村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7268026 |





