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米村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。白河郡のうち。はじめ会津領,寛永4年白河藩領,慶応3年からは幕府領。村高は,文禄3年の蒲生高目録では335石余,文化年間の取扱演説書抜では527石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに578石余。用水は熊倉堰の流末および谷地水。助郷は奥州街道白坂宿に出役。元治元年11・12月の出役人夫87,馬45。正徳2年羽鳥から当村を通り黒川に至る会津廻米道が開かれ,当村に問屋が置かれた。幕末の黒川問屋詰馬30(真船勝司家文書/西郷村史資料6)。元禄年間以来小針家が大庄屋を世襲,廻米問屋を兼営した。その後寛政2年白子村の兼子七郎右衛門が大庄屋となり,当地域を支配した。化政期の家数53軒。文化11年長坂村・小田倉村・熊倉村・小田倉新田村とともに真船村と赤面【あかづら】山入会について相論を起こした。当村内に金吹場という地名があり,鋳物師双山但馬守清次・小針権右衛門家重らの居住地と伝えられる(小峯寺鐘貞享2年銘)。慶応4年5月戊辰戦争の戦火に見舞われた。鎮守は八幡宮。寺院は真言宗補陀落山成性院蓮花寺。旧福島県を経て明治9年福島県に所属。同20年の戸数45・人口290。明治12年西白河郡に属し,同22年西郷村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7270981