100辞書・辞典一括検索

JLogos

28

柿岡村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。常陸国新治郡のうち。慶長年間は幕府領,寛文年間は相模小田原藩領,元禄年間は旗本稲葉氏知行,幕末期は幕府と旗本小堀氏の相給。村高は,「元禄郷帳」1,914石余,「天保郷帳」2,896石余,「旧高簿」3,141石余。天保14年の家数139(八郷町誌)。正保年間~寛文年間に八重長堀村を分村したが,天保年間~明治初年に再び合併したという(新編常陸・寛文朱印留・旧高簿)。「新編常陸」によれば,村の規模は東西19町・南北8町半。寺院は,真言宗長楽院・同東泉院・同大教院・浄土真宗如来寺・曹洞宗善慶寺・同芳正寺・浄土宗常林寺。神社は白鳥明神(高友明神)・諏訪明神・八幡宮・牛頭天王・稲荷明神・天満天神。白鳥明神は村内の総鎮守。府中から真壁・筑波に至る要路に位置し,恋瀬川には上河岸・下河岸があり,それぞれ船宿が1軒ずつ設けられ,酒・醤油の醸造業も行われていた(八郷町誌)。天狗党の筑波挙兵に伴う自衛手段として当村ほか53か村の百姓は,槍を携え,あるいは志筑の旗本本堂氏から拝借した鉄砲50丁を携え染谷村付近の鬼越山へ集合し,その数は1,000人余に及んだと伝え,のち村内で浪士1人を殺した褒美として幕府の鎮圧総督田沼氏から銭30貫文を与えられたという(波山記事/八郷町誌)。化政年間の俳人夕顔亭八瓢は当村の出身(八郷町誌)。明治8年茨城県,同11年新治郡に所属。明治22年柿岡町の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7272568