桂村(近世)

江戸期~明治22年の村名。常陸国信太【しだ】郡のうち。幕府領,志摩鳥羽藩領を経て,のち関宿藩領。村高は,「元禄郷帳」487石余,「天保郷帳」「旧高簿」ともに526石余。天明8年から水戸街道牛久宿の加助郷差村となり,助郷高は250石。文化元年牛久助郷一揆に参加し,当村の百姓兵右衛門は廻状作成と打ち毀しの提言のために遠島,利八・長吉の両名は打ち毀しの際に鋸を所持し使用したため敲に処せられ,当村は過料10貫文を科せられた。文化2年から助郷高は116石(茨城百姓一揆)。安政5年備荒の積穀は籾32石余,稗48石余(牛久町史)。鎮守は天文20年創建の鹿島神社,寺院は天台宗金剛院薬師寺,同竜蔵寺(現在廃寺)のほか嘉永3年創建の浄土真宗雲国寺。明治8年茨城県,同11年信太郡に所属。明治22年奥野村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7272712 |





