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足崎村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。常陸国那珂郡のうち。寛政3年2月金久【かねきゆう】村と改称し,文化年間旧村名に復す(加藤寛斎随筆)。はじめ佐竹氏領,のち慶長14年からは水戸藩領。村高は,寛永12年「水戸領郷高帳」1,378石余,同21年「御知行割郷帳」677石余(うち田高272石余・畠高405石余),「元禄郷帳」687石余,「天保郷帳」815石余,「旧高簿」550石余。「水府志料」によれば,石神組に属し,戸数98,村の規模は東西17町余・南北43町余。助郷は佐和・枝川・田彦宿などに出役。鎮守は村松五所明神(村松大神宮)支配の素鵞神社。寛文3年「開基帳」によれば,慶長3年以前に創建の真言宗宝光院があったが,寛文6年の水戸藩寺社整理で見捨(廃寺)となる。江戸末期頃庄屋で農業経営とあわせて,黒染屋と称し紺屋を営む豪農がいた(足崎夜話)。このほか源義家が武器を納めたという白旗塚伝説がある。「新編常陸」によると,文化13年10月八太夫という農民が,白旗塚に重宝が埋まっているという夢を見たので,さっそく多くの人を雇って塚を発掘したところ,太刀など数品が出土,八太夫がその太刀を手に取るやいなや眩惑して倒れ,人々は驚いてその太刀を納め塚を封じたが,その後八太夫は放心し狂人となり,家族はすべて病で死んだとある。明治4年茨城県,同11年那珂郡に所属。明治22年前渡村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7275013