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鷲子村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。常陸国那珂郡のうち。古くは鳥子と書き,元禄16年鷲子と改めた(水府志料)。はじめ佐竹氏領,のち慶長14年からは水戸藩領。村高は,寛永12年「水戸領郷高帳」878石余,「元禄郷帳」では鳥子村として1,134石余,「天保郷帳」では古くは鳥子村とあり1,204石余,「旧高簿」901石余。「水府志料」によれば,鷲子組に属し,戸数180,村の規模は東西89町・南北22町。徳川光圀の命により当地域に紙漉の業が始められ,享和2年には水戸藩郡奉行の陣屋が置かれ,当村を中心とする組を鷲子組と称したとある。同組に属した村は那珂郡の当村・小田野・高部・上檜沢・下檜沢・入檜沢・氷之沢・上小瀬・下小瀬・法性寺・那賀・門井・野口平・野口・大畑・金井・国長・福岡・長倉・野田・秋田・千田・入本郷・中居・吉丸・小玉・小瀬沢・松野草・油河内・大岩・小船の31か村,茨城郡の上伊勢畑・下伊勢畑の2か村,計33か村であった(現在の御前山村・緒川村・美和村南部のあたり)。天保元年郡制改革により鷲子組は消滅。鎮守は三所権現。寺院は浄土真宗善徳寺・照願寺。明治4年茨城県,同11年那珂郡に所属。明治9年上小瀬村を中心とした地租改正反対一揆では罰金129名を数えた(明治維新の農業構造)。明治22年嶐郷村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7275351