額田村(近世)

江戸期の村名。常陸国那珂郡のうち。はじめ佐竹氏領,のち慶長14年からは水戸藩領。村高は,寛永12年「水戸領郷高帳」2,000石余(ほか新田161石余),「元禄郷帳」2,487石余,「天保郷帳」では古くは額田村・米崎村・高岡原村3か村とあり4,428石余。天保年間までに額田米崎村・高岡原村を合併したと思われる。「水府志料」によれば,石神組に属し,戸数374,村の規模は東西1里5町21間・南北33町57間,久慈川に船渡し2か所がある。棚倉街道が通り,宿駅が置かれた。享保年間当村の商人・職人の人数は28で(水戸市史),代々当村の庄屋を勤めた鈴木家の鈴木市兵衛は当地方の紅花を買い集めて江戸・大坂方面に送ったという。市兵衛は花市兵衛と称された豪商であった。元禄5年頃には当地で茶が栽培され,文化2年頃には周辺に波及している。寺院は真言宗観音寺・毘盧遮那寺・幽禅寺,浄土真宗阿弥陀寺,時宗常念寺,神社は鹿島明神(新編常陸)。寛政年間大谷達才というほらふきの名人が殿様から馬1頭せしめたという伝説や,額田神社に大蛇の鱗3枚が宝物として奉納されたという伝承がある。天保年間額田北郷・額田南郷・額田東郷の3か村に分村(同前)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7275808 |





