府中城下(近世)

江戸期の城下名。常陸国新治郡のうち。霞ケ浦の北西に位置する。平村に形成された府中藩の城下町で,水戸街道府中宿がある。慶長7年佐竹氏が秋田に転封になると,府中城には六郷政乗が入城したが,正保2年には六郷氏の無嗣断絶によって廃城となった。のち元禄13年再び水戸藩御連枝松平氏が府中2万石で立藩し城下を形成したが,府中には陣屋を設けたにすぎなかった(石岡市史)。佐竹氏支配下の慶長2年に町割りが行われたと伝え,のち香丸・金丸・小目代・貝地・室貝・右馬地(宝永年間富田町と改称)・右馬上(正保年間守横町と改称)・外右馬地・土器屋(瓦ケ町【かわらけちよう】ともいい,宝永年間幸町と改称)・香丸横町・守木町・木地町・中町・土橋町・青木町・青木横町・長峰町(のち若松町)・新宿(のち泉町)が成立。右馬地の地名は常陸国府時代に貢馬を集める所であったことに由来し,外右馬地の地名は右馬地の外(東)に位置したことに由来するという(府中雑記/石岡市史)。寛文8年中町・香丸・守木町・右馬地に庄屋・組頭が置かれた。府中宿の本陣は,中町の矢口家が勤め,泉町には一里塚が置かれた。寛永2年の家数1,100余・人数5,100余,馬350(石岡文化)。享保13年守木町からの出火の際,547戸が焼失した。安政2年の酒造高2,218石,酒醸造業者12(石岡市史)。元治元年藤田小四郎ら浪士60余名が,金丸町の鈴宮稲荷神社で田丸稲之右衛門を天狗党主将に推戴して筑波山において挙兵。幕府は府中・土浦・下妻・結城・谷田部の5藩に浪士の討伐を命じた。そののち杉並木一里塚では府中藩と天狗党の戦いがあり,天狗党の小林豊次郎・斎藤主計らが戦死。天狗勢は泉町・香丸町・守木町・幸町に放火して撤退した。のち天狗勢13名は谷向原で処刑された(元治甲子府中杉並戦争物語)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7276439 |





