古渡村(近世)

江戸期~明治22年の村名。常陸国河内郡のうち。はじめ佐竹氏領,のち慶長8年大名山岡景友領,同15年古渡藩領,元和8年幕府領,寛永年間下総佐倉藩領,元禄年間は旗本伊丹氏ほか3氏の相給,幕末期は旗本の伊丹氏ほか2氏と幕府の相給。村高は,「元禄郷帳」では古戸村と見え835石余,「天保郷帳」では古くは古戸村と見え900石余,「旧高簿」869石余。元和5年10月9日の黒印状では,当村は「丹羽五郎左エ門知行分,江戸崎領之内」に見え,領内で鳥をとることを許可されている(大日料12-32)。村の規模は東西2町46間・南北2町16間,曹洞宗興禅寺(元仁元年開基)・天台宗智福院(熊野権現別当)・多宝院(正長3年僧良弁開基)・熊野権現(文治年間創建)・須賀神社(正徳2年創建)・愛宕権現(弘長2年創建)・八幡宮(元亀3年勧請)・戸隠明神(元禄年間創建)・淡島明神(正徳2年創建)・厳島明神(寛文元年勧請)・浅間明神(万治3年勧請)がある(新編常陸)。明治初年までに柏木古渡村を分村(同前)。明治8年茨城県,同11年河内郡に所属。明治22年古渡村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7276449 |