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若海村(中世)


 鎌倉期~戦国期に見える村名。常陸国行方【なめがた】郡荒原郷のうち。正元2年4月28日の僧静寛譲状に相伝私領の一部として「若海買領」と見え,買得所領であった(烟田文書/鎌遺8500)。弘長2年3月19日の将軍家政所下文案では,亡父行十郎房静寛から所領を譲与された松正丸が鎌倉幕府から安堵されている(烟田文書/鎌遺8784)。文和4年8月10日の平氏女の譲状では「なめかたのこをりわかうミのむらのうちニあり田□(地カ)一反さいけ(在家)三けん」を娘をすくす御前に譲っている(常陸国行方郡諸家文書/大日料6-20)。応永20年5月10日の尼たうき譲状では「なめかたのこほり(郡)わかうミのむら」の田1町と在家1宇,「わらひ(蕨)のむら」の田5反と在家1宇が子息七郎太郎入道に譲られている(常陸国行方郡諸家文書/大日料7-19)。永正7年2月珠日の常陸国行方郡芹沢村万福寺三尊阿弥陀の来由には「平氏没落の砌,重盛公の良臣筑後守貞能といふ人……行方次郎を尋ね,次郎に心を合せ,行方若海村に草庵をむすひ,終に終に往生をとけ訖ぬ」とも見える(常陸遺文/大日料9-3)。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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