榎本藩(近世)

江戸初期の藩名都賀郡榎本に居所を置き,同地周辺を領有した譜代小藩徳川家康の側近本多正信の三男で,駿府政権における筆頭出頭人の本多正純の弟である本多忠純が,慶長10年榎本において1万石を与えられたことにより成立した元和元年,忠純は大坂の陣の功賞により都賀郡皆川周辺に1万8,000石を加増された本多忠純家はその後も榎本領を引き続いて所領としたが,寛永17年3代目の犬千代が5歳で早世し,無嗣絶家のため除封となった榎本藩の廃藩時期については,「藩史総覧」は皆川領加増の際に皆川へ転出したとして元和元年のこととし,「県史通史編」4は寛永17年の絶家の時とする

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7277966 |