100辞書・辞典一括検索

JLogos

41

葛城村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。塩谷郡のうち。「慶安郷帳」「元禄郷帳」「改革組合村」「旧高旧領」ともに喜連川【きつれがわ】藩領と見える。村高は,「慶安郷帳」430石(田254石余・畑175石余),「元禄郷帳」561石余,「天保郷帳」982石余,「旧高旧領」995石余。「改革組合村」では喜連川宿組合寄場に属し,天保年間の家数39。安政年間の家数50・人数180。奥州街道の脇往還である関街道にはさらにいくつかの脇道があったが,当村から関俣村を経て板戸河岸に至る道筋もその1つで,これらの脇道の間では江戸期を通じて荷物の取り合いが盛んに行われた。貞享元年には陸奥白河藩の廻米輸送をめぐって当村および関俣村と恩田・三輪・河井の3か村との間に請書が交わされている。また,天明6年には当村ほか5か村の問屋と板戸河岸との間で馬頭からの荷物は取り扱わない旨の証文が取り交わされた(県史近世4)。神社には神明宮があり,祭神は天照大御神,祭日は9月19日,永禄6年に塩谷兵部大輔の家臣関和泉仲保が伊勢皇大神宮の分霊を勧請したのが起源とされ,明治5年村社となった。寺院には真言宗東光寺がある。同寺は明治3年廃絶したが,同26年に再興された(喜連川町誌)。明治4年宇都宮県を経て,同6年栃木県に所属。同7年平三郎村を合併。同年,当村佐野又三郎宅を仮校舎として喜連川宿の章明館の分校を開設,同13年葛城小学校として独立,同20年喜連川小学校葛城分校となる(同前)。明治22年喜連川村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7278381