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文挟(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ熟田村,昭和29年北高根沢村,同33年からは高根沢町の大字。明治24年の戸数27・人口229(男103・女126),水車場1。戸数が少なく特産物に煙草があるほかは水田主体の純農業地域であった。大正10年熟田郵便局が開局。同12年国鉄烏山線が開通,文挟駅が開設されると,駅周辺は急速に市街地化した。同14年熟田郵便局は伏久へ移転。世帯・人口は大正14年97・517(男254・女263),昭和5年120・650(男319・女331)。昭和初期には耕地整理が行われた。学校は,明治25年飯室尋常小学校が飯室から地内に移転,文挟尋常小学校となる。昭和32年県立矢板高校高根沢分校が太田から地内に移転。同36年文挟小学校は北小学校新設のため廃校となり,同40年矢板高校分校は県立高根沢商業高校として独立した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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